特集/コラム

【インタビュー】2008-05-20

「この映画は、まさに作られるべくして作られた運命の映画」
エリック・クーさん(映画監督・プロデューサー)

世界で最も華やかな映画の祭典、カンヌ映画祭が14日に開幕した。栄えあるコンペティション部門に、今年、シンガポール映画が初めて選出された。クリント・イーストウッド、ヴィム・ベンダースなど、世界に名だたる巨匠たちと、最高賞パルムドールを競うことになるのは、エリック・クー監督(43歳)の最新作「My Magic」。しかし、クー監督は、もはやカンヌの常連と言っても過言ではない。97年には「12 Stories」が、シンガポール映画として初めてカンヌで公式上映、2004年には「Be With Me」が監督週間部門で、シンガポール映画として初オープニング上映。そして、この本レース参戦という名誉を初めてシンガポールにもたらしたのも、やはりクー監督。10代で映画を撮り始めて以来、常にシンガポール映画界を第一線で牽引し続けてきた彼に、レッドカーペットが待ち受けるカンヌ入り目前の心境と、新作について、また、これまでのキャリアやシンガポール映画界のことを語ってもらった。

―この度は、新作のコンペ選出、おめでとうございます。どんなお気持ちですか?

「応募総数4025本の中から、たった19本の一つに選ばれるなんて、信じられない気持ち。今まで、どんなスターが現れるか眺めていただけのレッドカーペットを、自分も歩くことになるなんて夢のようです」

―「My Magic」はどんな映画ですか?

「うらぶれたアル中のマジシャンが、息子との結びつきを取り戻していく話なんですが、フランシス・ボスコという、実在の火吹き芸人がモデルになっています。インド系シンガポール人である彼には、約10年前、クラーク・キーのバーで出会い、火の粉をかぶりながら芸を披露する姿に、すっかり魅了されてしまいました。以来、年に12度会ってビールを飲み交わす度に、いつか一緒に映画を作ろうと話していました。昨年末、文化勲章をもらったのを機に、今作らなければまたこのまま10年経ってしまうだろうと、実現に踏み切ったのです。フランシスと共に存在感を光らせてくれるような子役が見つかるかどうかが、重要な鍵でした。何人かオーディションしましたが、知り合いが紹介してくれた13歳の男の子が逸出してました。舞台などの演技経験のある彼と、未経験のフランシスとうまく噛みあうかどうかが問題でしたが、数日間、何時間か一緒に時間を過ごして波長を合わせてもらい、撮影の準備を整えました」

―撮影現場の様子はいかがでしたか?

12日間の予定だった撮影が、全員の情熱とエネルギーのおかげで、 9日で終了してしまいました。 1011時間の撮影を終えて帰宅しても、 「何で毎日そんなに楽しそうなの?」と妻に言われるほど、いつも現場は笑いと熱気に満ちていました。普段は事前にストーリーボードを用意するんですが、この作品では、あえて即興的に撮影を進めていきました。フランシスの本物のマジックが放つパワーはものすごく、それに合わせてカメラマンが動く、という感じでした

―映画のセリフは8割がタミール語、後は福建語と英語が入り混じっているそうですが、クー監督自身、全く理解しないタミール語を使用したのは何故ですか?

「少数派を描いた映画にしようと意図したわけではなく、主人公がたまたまインド系だったので、中華系の人が方言も話すように、タミール語を話すのが自然だろうと考えたんです。ただ、彼は日常では英語が主なので、ある程度タミール語の訓練をする必要がありました」

―カンヌでの受賞、いけそうでしょうか?

コンペに 選ばれただけで、もう浮かれてます。最初はカンヌのことを全く知らなかったフランシスも、説明したら、そりゃすごい!と驚いていました。 彼のタキシードを、ファーイーストプラザで 350ドルという激安価格で調達したところです。サイズ44の特大サイズですが(笑)。ファッションにうるさい撮影監督も、ずっと温めてたプラダのタキシードをようやく着られる!と騒いでますよ(笑)

―これまでのキャリアについて聞かせてください。

「母親と初めて映画館に行ったのは2歳の時。ホラー映画好きで、9歳の時にはもうすでに怖いとも思わず、特殊メイクがどうなってるのかなど、製作過程により興味がありました。それから、母親の8ミリカメラをいじるようになったんです。スピルバーグと一緒ですよ(笑)。オーストラリアで映画製作を学び、兵役後、テレビCMの仕事をしていたのですが、91年にシンガポール映画祭で始まった短編映画のコンペに応募したら、最優秀賞を受賞したんです。応募作品17本が全部最終選考に残ってしまうくらい、まだ参加者は少なかったんですが。その後も毎年応募しているうちに、海外の映画祭担当者の目に留まり、招待上映されるようになりました。94年の「Pain」が、同コンペで最優秀監督賞と、次の作品に機材スポンサーを提供してくれる功労賞を受賞したので、それを利用して、長編第一作の「Mee Pok Man」を撮ったのです。これが、ベルリンやヴェネチアなど主要映画祭で上映され、次の作品への出資が集まるようになり、「12 Stories」を撮りました。その後しばらくは、プロデュース業の方に専念していたのですが、7年の空白を経て撮ったのが2005年の「Be With Me」でした」

―映画を撮り始めた当時、状況は今より難しかったのではないでしょうか。

「もちろん障害は山ほどありました。今でも、政府が精力的に助成しているとは言え、人口が少なくマーケットが狭いシンガポールは、映画製作がスムーズな土壌とは言えません。50年 代にマレーのミュージカル映画が盛んに作られたのは、シンガポールだけでなく、東南アジア全域が市場対象だったからです。その後は、ほぼ国内映画が不在の 低迷期が続きました。当時はまだ、今のように若手が自主製作できる環境が整っていなかったけれど、今はデジタルカメラがあって、パソコンで編集できる、誰 もが映画監督になれる時代。本数は少なくても、質の高い映画が製作されて、海外に出て行くことが大事なのだと思います」

―現在のシンガポールの映画事情について、どう思いますか?

「特にここ数年は、いろんなジャンルの映画が見られる豊かな市場だと思います。毎週7本もの新作映画が公開されているし、チケット価格もかなり安い方です。また、短編からすぐに長編にステップアップできてしまう環境があり、才能ある若手がたくさんいます。私の製作会社でも、逸材を発掘してプロデュースを手がけています。最近プロデュースしたのは、27歳の若手監督、ブライアン・ゴーソン・タン。去年彼の短編を見て感銘を受け、話をしたところ、いつか長編を作りたいと言うので、じゃあ撮ればいいじゃないか、ということで、脚本を書くように勧めたんです。で、書きあがった作品を2週間で撮影し、編集を見たら、すごくよかった。最近ではフィルムコミッションの助成も充実しているし、シンガポール大学にもフィルムスクールが登場するなど、国内でのフィルムメイカー育成機関も増えています。ただ、これだけ映画館があっても待機作品が多すぎて上映期間が短く、うっかりすると見逃しかねないのが難点です。また、21歳以上しか見られないR21指定は、若い観客を切ってしまうので、廃止すべきだと思っています」

―一番思い入れのある自身の監督作品はどれですか?

「ダントツで「My Magic」ですね。この映画は、まさに作られるべくして作られた運命の映画です。映画の誕生にまつわる出来事は、すべて起こるべくして起こっているんです。それと、四人の息子の父親である自分にとって、この父と息子の話は、パーソナルなテーマとも言えます。拝金主義がはびこって、外見で人を判断してしまいがちな世の中ですが、人の本質は中身に潜んでいるということをこの映画を通して伝えたかった。シンプルな話ですが、ドラマの展開は予想外で、むしろ、見ている人にも一緒に映画の中の旅を体験してほしいんです。関わった人すべての力が結集されて、最後には、まさにマジックの力によって願ったとおりの映画に仕上がった、と感じています」


日本文化は、こだわりの極み。日本の食文化を題材に、映画を撮ってみたい。

―プロデュースを手がけたロイストン・タン監督の「4:30」や「881」には日本も出資していますが、今後も日本と共同制作していく予定はありますか?

「三池崇史監督の大ファンなので、是非一緒に映画を撮ってみたいです。日本の文化は、こだわりの極みだと思います。見た目の演出もパーフェクト。日本から題材に選ぶなら、食文化を取り扱ってみたいですね」

―すでにハリウッドが注目していると思いますが、オファーがあったら興味はありますか?

もちろん。でも基本的に脚本は自分で書きたいんです。「Mee Pok Man」の後、香港からアクション映画の監督をやらないかという話がたくさんありましたが、ジャンルもストーリーも全く興味はありませんでした。いい脚本であれば他の人のプロジェクトでも、例えロケがカザフスタンだったとしても大歓迎ですが(笑)。どんな題材を扱うかが、常に重要なんです。脚本をできるだけ自分で手がけたいのも、そうすれば、自分の中のものがそこに表現されている手ごたえが感じられるし、どんな映画になるのかイメージできるからです」

―次回作の予定は?

「大 のホラー映画好きなので、 ホラー映画製作専門の会社を作ろうかと考えているところです。撮影は、すべてコストの抑えられるインドネシアで行う予定。特殊ボディパーツに必要な化学製 品で、シンガポールに輸入できないものが多いんです。なので、トム・サヴィーニ(「ゾンビ」などの特殊メイクを担当)のようなプロの特殊メイクアップアー ティストを雇って、現地で人材を育成し、特殊効果パーツの工場を建てたいと考えています。会社名は、ゴジラをもじって「Go-Gila Pictures」にしようかと(笑)。Gilaはマレー語で”マッド(狂う)“の意味。みんなでクレイジーになろうぜ、っていうノリです(笑)」

―ありがとうございます。


「楽しいことへの飽くなき欲求」。それこそが、クー監督の無尽蔵なエネルギーとアイディアの原動力なのだろう、と強く感じた。周りの人をポジティブな魅力で巻き込んでしまう、素晴らしい資質を持った映画人だ。

小林亮子 + シンガポール経済新聞編集部


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第61回カンヌ映画祭−「パルムドール」にシンガポール映画が初ノミネート

Eric Khoo(エリック・クー)さん:1965年シンガポール生まれ。オーストラリアのシティアートインスティテュートで映画製作を学び、兵役を終えてから、テレビCM製作の仕事のかたわら、短編映画製作をスタート。長編第一作「Mee Pok Man」(95)がベルリンやヴェネチアなど主要映画祭で上映され、シンガポール、福岡、プサンの映画祭で賞を受けて、注目を集めるようになる。第二作目「12 Stories」(97)は、シンガポール映画として初めてカンヌ映画祭で上映された。ロイストン・タンら若手のプロデュースも手がけるかたわら、7年ぶりに監督した「Be With Me」はカンヌや東京国際映画祭で上映された。97年のナショナルアーツカウンシルによるヤングアーティストアワード(映画部門)、99年のシンガポール・ユース・アワード、そして今年2008年には大統領から文化勲章を、また、フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを受けるなど、華々しい受賞歴を持つシンガポールを代表する映画監督であり、映画プロダクション会社「Zhao Wei Films」の共同オーナーの一人。2004年に86歳で亡くなった、ホテルや銀行を経営するグッドウッド・グループ経営者、クー・テック・プアット氏の息子としても知られる。「My Magic」はシンガポールでは今年末に公開予定。
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