特集

【Singapore Arts Festival2012】
村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル」を翻案
演出家・映像作家スティーヴン・アーンハートさん

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なぜ「ねじまき鳥クロニクル」を取り上げたのですか?

 僕が選んだというよりは、作品の方からやって来たんですよ。2003年に東南アジアを長期間旅行したときに、旅先で出会って一緒に旅した友人から村上さんの本をもらった。村上作品を読み始めたのはそれが最初。でも、その後、どこへ行ってもたくさんの人から村上さんの本をもらい続けることになって。結局、もらい物の村上さんの作品は8作品もあります(笑)。あんなに簡潔な文章なのに、読者を別世界へと連れてゆくことができるところが素晴らしく、僕はすぐに惹きこまれた。村上さんの作品のなかでも「ねじまき鳥クロニクル」は、最も魅力的な作品だと思っています。「ねじまき鳥」は、僕が今やっているような「Living Cinema」「三次元シネマ」の手法に最も強いインスピレーションを与えてくれる作品です。だから、村上さんの作品を読んでいるときに感じるような、イマジネーションの世界に連れて行かれるようなドラマチックな体験を舞台上で繰り広げたいと思いました。
 村上さんに会いにいったとき、僕たちには「デビッド・リンチの映画ファン」という共通点があるとわかりました。もちろん村上さんの作品がすべてとは言わないけれども、村上さんの作品に出てくる奇妙な世界や驚異的な登場人物たちは、僕にデビッド・リンチの映画を連想させることがあります。村上さんは僕の舞台化の計画については「原作のことは忘れて、好きなように上演していいよ」とだけ言ってくれました。

どのようにして、三部作からなる長編小説を2時間の作品にできたのでしょうか?

 役者が加わって稽古をはじめるまでには、約2年かかりました。できるだけシンプルなストーリーになるまで煮詰めてゆき、翻案を始めてから6年後の今、2時間という形になっています。ノモンハン事件や旧日本軍など政治的な問題については、上演化の過程で村上さんが引用した本などを読み研究したけれど、僕は日本人ではないから、作品で描かれている歴史を完璧に理解することはできないと考えました。そしてもっと普遍的なものにフォーカスすることにしました。
 登場人物は皆、体や心に傷を抱えている人たちだけれども、それぞれに共鳴・協力しあいながら少しずつ回復してゆく。間宮中尉のモノローグで、私たちがもっている唯一の共通点は「痛み」という意味のことが語られるけれども、これは僕が一番好きな部分ですね。村上作品の常として、不条理で恐ろしくて、しかも物議をかもすようなことが語られる長い語りだけれども、ここの物語は一気に読んでしまいました。
 この物語は、死んだように生きていた主人公のトオルが、様々な人々との出会いや苦しみを経験した後に、自分の力で立ち上がっていこうとする過程です。米国がベトナムのことについて語りたがらないように、満州は日本が多くのことを語りたがらない問題ですが、そのことはトオルの立場にとても近いように思います。妻が自分以外の男と関係を持ったことや、今まで考えないようにしてきた自分と妻との性生活など、辛い出来事や現実にある日突然直視しなければならなくなります。人が語りたがらないことや不吉なこと、人が抱える闇というのも人間の一部です。悲しみや渇望が愛の一部であるように、闇があるからこそ喜びも存在している。僕は、人間のそういう矛盾に興味があります。だから僕はデビッド・リンチの映画が好きなのかな(笑)

演出には日本語、人形、マルチメディア・・・さまざまな表現手段が駆使されていますね。

 トオルとクミコの会話など、親しい役柄同士で交わされる会話は日本語で話されています。また、間宮中尉の回想や独白も、日本語です。
 人形を使う演出は、ワークショップに参加したパペットデザイナーが、パペットとテクノロジーを融合させてみたいというアイデアを持っていて実現したものです。彼は、日本で文楽の勉強などをして準備してきました。人形は、例えばトオルが見ている夢の中などで、彼自身となる「アバター」を演じる役目を担っています。
 僕たちの舞台では、ホログラムのプロジェクターを7つ使うなど、テクノロジーを駆使した巨大な背景などを使うので、人間の存在が小さくなってしまいがちでした。ですが、テクノロジーに頼らず、人間だけでも物語を進行できるくらいの演技力を目標にしていたので、言葉を使わないけれども役者同士で抽象的なコミュニケーションとる即興や、舞踏ダンサー・山崎コータさんのワークショップなどを経験したりして役者の演技力を高め、最後には、いいバランスを見つけることができました。実は、ニューヨーク公演の最終日、後半に機材が壊れるというハプニングがあったんです。でも、観客は全然気がつきませんでした。もちろん僕は焦って気が気でなかったんですけど(笑)、それと同時に「成功した!」と確信しましたよ。

ご自身にとって演劇とは。

 大学卒業後、僕は「ミラマックス・シネマ」で映像の世界に携わり、映画や映像作品を20年間にわたって製作してきました。演劇に関わり始めたのは約8年前。演劇は、期待していたよりもずっとおもしろい。演劇は、僕にとって、映画、ライブパフォーマンス、音楽、ビデオプロジェクション――自分が好きなものを全て盛り込んだ創作ができる場所なのです。僕は自分のスタイルのことを「three dimensional cinema(3次元シネマ)」と呼んでいます。
 僕の演劇作品ではたくさんのメディアを使うので、ひとつの作品に仕上げていくのはとても骨の折れる仕事です。無数の指示を出し、形にしていくだけでも大変だった。演劇に関わることへの手応えを感じたのは、「ねじまき鳥クロニクル」をエディンバラ演劇祭で上演したとき(2011年)。まだ完成だとは思えなかったけれども、最後には、自分がどう創っていきたいのかが明確になっていました。
 このような過程があったからこそ、今回のシンガポールの公演はとても楽しいです。役者に集中することができ、とても嬉しく感じています。人間が本来持っている創造性は本当に素晴らしくて、毎日新しい発見がある。映像は、編集作業の繰り返しによって、自分が思ったとおりに断片をつなぎ合わせて作り上げていくもの。でも、演劇は人生と同じで、全てをコントロールすることは不可能。全く異なるからこそ、両方のメディアに関わることが楽しいんです。いつか日本でも、演劇作品を上演してみたいですね。

スティーヴン・アーンハートさん
ニューヨーク大学卒業後、米の映画会社「ミラマックス・フィルム」で映画・映像作品のプロデューサーとして活躍。ミュージックビデオやドキュメンタリー映画も手がけ、映像の世界で約20年間にわたりマルチな才能を発揮してきた。約8年前から演劇創作を開始。プロジェクトベースで、得意の映像を生かした作品を生み出している。